May 25, 2015
ネット好きもそうでない人もみんな「インターネット的」
僕が初めてインターネットを使ったのは、大学の入学祝いに買ってもらったノートパソコンを電話回線に繋いだ時でした。
18年も前のことなのであまりよく覚えてないのですが、その当時のインターネットの使い道といえば、PostPetの愛犬が友達のパソコンと行ったり来たりするのを楽しんでいる、くらいなものでした。
それとほぼ同じ時期、1998年に「ほぼ日刊イトイ新聞」は始まりました。
主宰の糸井重里さんは、それから一日も休まずにインターネットを介して情報発信を続けています。
「ほぼ日刊イトイ新聞」創刊から3年後の2001年に書かれた本書には、「インターネットの可能性とは?」「どのようにインターネットと向き合えば人は幸せ、豊かになれるか?」について、イトイ流の深い洞察に基づく、根源的な考えが綴られています。
インターネットの黎明期に書かれた本にもかかわらず、鋭く予言的に今のネット世界を描いていて驚きでした。
本のタイトルでもある「インターネット的」とは、インターネット自体がもたらす社会や人間関係の変化。それ全体のこと。
例えて言うなら、自動車それ自身ではなくモータリゼーション。自動車の普及とともに変化した世の中や生活、全てのこと。
彼は、世の中のインターネット的変化を3つのキーワードに纏めました:
①リンク 一見不要な情報からのつながりに可能性を見いだせる
②シェア 根源的に人って分け合うことを楽しく感じる(おすそ分けする人は皆に喜ばれるし、信頼もされる)
③フラット 身分、立場だけでなく個人の価値観も平坦、自由になる
あ、あるある。そうなってる。って頷きながら読み進めました。
でもよく考えると、それらってインターネットが登場する前からも日常的に行われてることだったりするんです。
パソコンや光ケーブルがなくたって「インターネット的」であり得る、と糸井さんは言います。
①リンク 池田がこの前の飲み会で、餃子についてつぶやいてたよな。次の日本餃子教会のプロジェクトは池田に任せてみよう、とか
②シェア 食べきれない程みかん貰ったから、お隣さんに分けてあげよう、とか
③フラット 水戸黄門が印籠を隠して諸国行脚していたりとか
昔から行われていたことだけど、インターネットの浸透、発展によって、この3つの変化が社会や世の中の至る所で、加速度的に進んでいくことでしょう。
どんどん誰もが、自由に、繋がって、共有されていく。
グローバル化とか少子高齢化と同じかんじで、インターネット的変化は必ず誰しもに影響を及ぼすことであり、転換期の真っ只中です。
あなたの会社の社食のメニューが突然英語になったり、年金受給開始が70歳に延びたりするのと同じように、
必要、不必要にかかわらず有象無象の情報がシェアされて来たり、つぶやきによってある企業イメージが大きく毀損されたり、娘の彼氏から結婚の挨拶がSNSで飛んできたりもするでしょう。
自動車のように、インターネットは便利な道具として、僕達の生活をこれからも革命的に変え続けていきます。
そんなインターネットも使うのは結局人。インターネット的変化を楽しいと思うか、疎ましく思うかは、その人の心持ち次第なのかもしれません。
源氏物語に描かれている人の感情の機微って、今の僕達が抱く感情と同じはず。好きだという気持ちを伝える手段は手紙からLINEに変わったかもしれないけど、好きだという気持ちは普遍的でそれこそが人の原動力なのです。
今よりもちょっとだけ、一見どうでもいいようなことを大切にしながら、周囲に敬意を払っておすそ分けしていけたらいいなと思いました。
インターネット的 (PHP文庫)
Posted by
Hiroshi Ikeda
at
5/25/2015
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