March 3, 2010

いままでタダだったものに4,000円/月、あなたは払えますか?(1)


日本経済新聞社は2月24日、インターネット版の日本経済新聞Web刊を3月23日に創刊すると発表しました。注目すべきはその価格設定です。

1)日経新聞定期購読者に対して:月額1,000円 (朝・夕刊セット版地域の購読者は紙・電子媒体合わせて月5,383円、全日版地域の購読者は月4,563円支払うことになる)
2)電子版のみの購読者に対して:月額4,000円
3)日経IDのみを取得した登録読者(非有料会員読者)に対して:月額0円(ただし有料会員限定記事は月20本までしか閲覧できない)

皆さんはこの価格を見てどう思うでしょうか?

価格に対する反応は受け手の立場によって異なります。普段から無料の「日経ネット」(もしくはそれに順ずるニュースサイト)に慣れ親しんだユーザーには4,000円という価格がかなりの高額に感じられるかもしれません。いつも日経ネットの見出しだけ斜め読みしていたユーザーからすれば、会員登録をするだけで、依然タダなのだから何も変わらないと感じるかもしれません。そして、紙媒体の日経新聞購読者はこの価格設定に何を感じるでしょう?今まで(朝・夕刊セット版地域の場合)月額4,383円払っていた分に1,000円を上乗せするだけで、多機能なWeb刊の恩恵も享受できると考える人がいるかもしれません。あるいは、紙の新聞で十分事足りているのでウェブ版には1,000円もだせないと考える人もいるかもしれません。

このようにある商品と別の商品(もしくはサービス)をセットにして提供する手法を「バンドリング」と呼びます。代表的な例が、マイクロソフトのオフィス(ワードやエクセル等、様々なアプリケーションをセットとして販売)やマクドナルドのバリューセット(ハンバーガーとポテト、飲み物をセットとして販売)です。通常、バンドリングという手法は各商品をある価格で買いたいと思っている性格の異なる顧客グループ双方に有効にアプローチする(セット商品を購入してもらう)為に行うということが基本にあります。ここでは議論の単純化のために3)の非有料会員を除外して、朝・夕刊セット版地域の価格に限定して考えてみましょう。

紙媒体の日経という商品が月4,383円、電子媒体の日経という商品が月4,000円、そしてAさんとBさんがいると仮定しましょう(A、B共に日経のサービスの利用は始めてとする)。昔の人間であるAさんは紙媒体の日経ならば月5,000円まで出してもよいと考えますが、パソコンには疎いため電子媒体には2,000円の価値しかないと考えます。それに対して、ネット好きである現代っ子のBさんは紙面を嫌うので紙媒体には2,500円以上は払いたくないが、インターネットは便利なので電子版には4,500円までなら出しても良いと考えます。

商品(サービス)に対してここまでなら払ってもよいとする額を支払意志と呼びます。Aさんの場合、紙媒体に対する支払意志(5,000円)はその商品価格(4,383円)を上回るのでAさんは紙媒体を購読するという意思決定を下します。しかしAさんの電子媒体に対する支払意志(2,000円)はその価格(4,000円)を下回るために、電子媒体に対しては購読しないという意思決定を下します。Bさんについては同様の考察によりAさんとは全く逆の電子媒体のみを購読するという結果になります。この時、日経が二人の顧客から得る売り上げの合計は4,383+4,000=8,383円になります。

別のケースを考えてみましょう。同じ支払意志を持ったAさん、Bさんに対して、もし日経が紙媒体と電子媒体をセットとして月5,383円という価格で提供した場合はどうなるでしょうか?(ここで注目すべきはセットにした価格がそれぞれ単体の価格の合計より値下げされているという点です。)先ほどの仮定に基づいてAさん、Bさんのセット商品に対する支払意志と購読意思決定の関係を見てみましょう。Aさんの場合、紙と電子媒体に対する支払意志はそれぞれ、5,000円、2,000円なので、紙+電子媒体での合計の支払意志は7,000円ということになります。それに対し、セットの割引後の価格は5,383円なので、Aさんはセットを購読するという意思決定を下します。Bさんについても同様にセットに対する支払意志7,000円はその商品価格を上回るので、セットを購読することになります。その結果、日経が二人から得られる売り上げは5,383 +5,383=10,766円になります。なんと値下げしたにもかかわらず、両顧客に対してセットとして両方の商品を売ることができた為、売り上げ増という結果になりました。(しかも商品をバンドリングするだけで何の大きな投資を伴わずとも、3割近く売り上げを増加させたことになります!)

この例にも見られるようにバンドリングという手法は時として少ない労力で、大きく売り上げ増に貢献することがあります。ただし現実の市場はここでのモデルほど単純ではなく、きれいに分け難い様々な支払意志を持った多くの顧客(潜在顧客)が混在しており、また多くの代替製品(サービス)が存在する為、バンドリングを成功させる為には関連市場の包括的な分析に基づいた確かな戦略が必要になります。実際には個々の事例によって異なるのですが、一般的にバンドリングを成功させる重要な要因として以下の条件が挙げられます。

1.顧客群の支払意志が互いに逆の相関関係
2.値下げに耐えられるだけの低コスト構造(もしくは値下げ分サバを読んだ高い定価設定)
3.顧客群の各商品に対する支払意志に基づいた価格設定

日経が狙いとするバンドリングを成功させるためには何が必要か、上記の条件を元に考えてみましょう。

1.顧客群の支払意志が互いに逆の相関関係

毎朝、通勤電車で紙媒体の新聞を読むことが習慣なのでネットを見る必要はないという人もいるかもしれません。逆にインターネットを好み新聞は読まないという人も想像に難くありません。ただしこの顧客が電子版にどの程度支払い意欲をみせるのかは、未知数です。(電子版は無料でなくてはダメという人たちの為に3)の非有料会員を設けたとも考えることができます。)取り込みたい各々の顧客群の支払い意志が大きく異なるほど、それぞれの顧客群がバンドリングされたセット商品を購入する条件をクリアしやすくなり、バンドリングから得られる効果は大きくなります。この日経の例の場合、紙派のAさんタイプと電子派のBさんタイプの支払い意志はどの程度異なっているのか?両者の支払い意志が同程度ならば、どうしたら2者の支払い意志を乖離させることができるのか?例えば、情報収集効率やバックナンバー閲覧等の電子媒体ならではの付加価値をうまく伝え、一方の支払い意志を引き上げる(それなりにお金を払ってもいいと納得させる)必要があります。

2.値下げに耐えられるだけの低コスト構造(もしくは値下げ分サバを読んだ高い定価設定)

バンドリングにより割り引いてもなおかつ黒字を保つためにはその下げ幅に耐えられるだけ商品自体が低コストでなくてはいけません。私は門外漢のであり紙と電子媒体の新聞のコストについてはよく分からないので、このバンドリングによる値下げ幅がコスト面から妥当かどうかは判断がつきません。しかしながら、一つ考えられることは電子媒体単体の価格設定が値下げを許容できるように“意図的に高く設定された”のではないかということです。私のような素人からみても、紙面に比べて原材料費・流通原価のかからない電子媒体が紙媒体と同程度の4,000円台の価格がつくとは到底思えません。ところがこの4,000円という設定がかませ犬で、バンドリング割引によるセット購読への誘導を狙った仕組まれた価格だとすると、その理由に納得がいくでしょう。

3.顧客群の各商品に対する支払意志に基づいた価格設定

バンドリングをしたセットの価格を5,383円に設定した根拠は何でしょうか?互いに選好の異なる顧客群の両方に対して紙と電子媒体両方を売ることによって売り上げ増加を狙いたいと考えた場合、それぞれの顧客群がそれぞれの製品に対して幾らまでなら払えるのかを的確に把握する必要があります。紙好きの顧客とネット好きの顧客それぞれが、紙媒体、電子媒体にいったい月幾らまで出してもいいと考えるのかを正確に把握する必要があります。ここに価格コンサルタントが介入する理由があります。現に日経もこのWeb刊にビジネスの舵を切るにあたって、かなりのお金と時間を費やして第三者機関の協力を仰いだことは想像に難くありません。そのリサーチ・分析の結果、コストを下回ることなく顧客の取りこぼしを最小化するバンドリングの価格として月5,383円という値段を設定した(実際には紙媒体は据え置きでウェブ版を1,000円まで割り引いた)ということになります。

このように、今回の日経のネット版への課金の一件をバンドリングという視点から紐解くと、日経のもくろみがおぼろげながら見えてきます。

日経は決して新聞からの収益を切り捨てネットに特化しようとしているわけではなく、電子版というおとりをうまく利用して、新聞とネット両方の媒体を(しかもこの場合、既存の日経ネットは無料だったので、セット化による実質的な値上げ策で)売っていこうという貪欲な作戦と見てとれます。現に記者発表の席で喜多恒雄社長は「紙と電子版は共存関係を作れる」、「紙の新聞の部数に影響を与えないということを前提に価格を模索しました」と述べています。マクドナルドがポテトとハンバーガーの巧みなバンドリングで客単価を上昇させ売り上げ増につなげたように、日経も紙と電子版のセット販売で売上を増やすことができるかどうかその今後に注目です。

[出典:Business Media 誠]