December 9, 2018

産業観光満喫の旅「能作」訪問

歴史に疎く全く知らなかったのですが、富山県高岡市は古くから銅器など鋳造技術による金属加工業が盛んな町です。

約400年前、前田利長公が城下町として発展させるために、7人の鋳物師を町に招いて以来、商工業の都市として発展してきた長い歴史があります。
町のあちこちある工場の煙突からはモクモクと煙が出ていて、今でもそのモノづくりの歴史が脈々と流れていることが伺えます。

そんな高岡市に1泊2日で行ってきました。混じりっけのない錫(すず)100%の鋳物を得意とする「能作」さんを訪れるのが今回の旅の目的です。
電車と車で移動すること7時間。ようやく到着しました!
新社屋エントランス
2017年4月本社移転に伴い立てた新社屋は、鋳物工場とは思えないモダンなデザインで見てるだけで心躍ります。
色とりどりの型
中に入ると突如目に飛び込むのが、壁面全体を覆う色とりどりのオブジェ⁉と思いきや、実際に今でも使われている鋳型の倉庫でした。普通製造の現場において型は企業秘密として扱われ写真撮影などは禁止するところが多い中、能作さんはディスプレイとして見せてくれるという、太っ腹。見せる工場の意気込みを感じます。
錫、真鍮、青銅がメイン
能作さんの歴史は古く、今年で102年目を迎えるそうです。青銅鋳物による仏具の製造から始まり、近年はデザイン性の高いテーブルウェアやインテリア雑貨なども製造、販売しています。

早速、工場見学に参加させて貰い、現場を見せて頂きました。
鋳造棟
煤にまみれた暗い作業場のイメージはなく、高い天井を囲うように屋内全体を照らすライティングや、異なる材料のエリアを明示する漢字一文字のサインなどとてもお洒落です。
錫鋳造工程
真鍮削り中
現在能作さんには50名程の職人さんがいるということですが、若い職人さんも沢山いらっしゃいました。
底を溶接
伝統的なものづくり
昔ながらの旋盤も能作の歴史と共に工場の真ん中に鎮座
いろんな形の真鍮製器
高岡の金属製造業は分業制になっていて、ここ能作さんは鋳造、研磨までを行い、その後の塗装など表面加工は別の会社が担う仕組みだそう。

ラインという効率性を追求する感じはなく、職人が一点一点手でモノを仕上げていく様子が印象的でした。
能作さんの商品は決して安い価格ではありません。これからの日本のものづくりの一つの在り方を見せてくれている気がしました。

工場見学を終え一日目は終了。
翌日は、今回のメインである鋳物製作を体験させて貰いました。
開放的で明るい体験コーナー
ファクトリー・ショップすぐ隣にある、太陽の光が明るく差し込む工作室のようなスペースで約1時間半ほど、錫のぐい呑みを作りました。
押すと固まって、叩くと崩れる不思議な砂
砂遊びのよう
金型を置き、錫を流込む穴を確保する為パイプを立て砂を盛り、押し固めヘラで削り取って、逆さにしたら下の型完成です。
崩して出てくる瞬間が楽しみ
更にその上から枠を重ね砂を盛り押し固め、枠を開き金型を外します。再び枠を閉じ、穴から溶かした錫を流し込みます。凝固収縮が止まったところで、木枠をドンドンと打ち付けると砂が崩れて、固まった錫の姿が見えてきます。
バリ取り
ぐい吞み 完成!
不要な部分を切断し、型の合わせ目のバリを取れば原形の出来上がり。後は好みで磨いたり、刻印をしたりして完成です。

カフェ IMONO KITCHEN
すぐ隣に、カフェも併設されています。美味しそうなベーグル食べ放題セットもありました。
せんべい汁セット
器はもちろん能作の錫製食器に盛り付けられています。錫は柔らかく手の力で簡単に曲げることができてしまうので、器ごとに微妙に形が異なり風合いがあります。また、熱伝導率が高く冷たい水などを入れると器自体もすぐに冷えて、冷たい触感が楽しめます。

フラワーベース いちじく
今回、錫を求めて家族で富山県高岡市まで足を運んだのは、結婚十周年「錫婚式」の記念のためでした。錫のような落ち着いた輝き、柔らかさを兼ね備えた夫婦関係を続けられればと思います。


1泊2日の弾丸ツアーでしたが、ちゃんと富山のラーメンも堪能してきました♪
富山ブラック!

株式会社 能作
〒939-1119 富山県高岡市オフィスパーク8-1
Tel 0766-63-5080(代表)
Tel 0766-63-0001(見学・体験等問合せ)

September 18, 2018

次世代計算機講座(IPA主催)で最先端を感じる

次世代計算機の最有力候補として注目される量子コンピュータが今現在、どこまで研究・開発が進んでいるのか知りたく、本を読みそして9月15日(土)「情報処理推進機構(IPA)」主催の「次世代計算機講座<入門編>」セミナーに参加してきました。
雨にもかかわらず、100人の定員は満員で会場の座席もほとんど空席がなかったです。セミナー中に講師が、参加者のバックグラウンドを聞いたところ、物理と情報がだいたい半々くらいでした。

入門編ということで、京都大学 藤井先生早稲田大学 田中先生による原理のお話に始まり、企業研究者(富士通、日立)による開発状況まで幅広く知ることができました。
※上記リンク先にそれぞれの先生がスライド、講義ノートを公開してくれています

*****
量子コンピュータは今どこまで来ている?


京都大学 藤井准教授 スライドより

・1994-1999年の理論の確立と固体素子での量子ビット作成成功が第1期ブーム。それを受けて2011年、量子アニーリング方式の実機開発にD-Waveが成功してから、現在の第2次ブームが始まる。以降、Google、IBM、Microsoft、Alibabaや日本企業による開発競争が加速している。

・量子アニーリング方式においては、D-Wave2000Qが2000量子ビットまで来ている。全ての素子が動いている訳ではないが、一定の組み合わせ最適化問題に対しては、圧倒的な計算速度と省電力性が実証されている。

・万能量子計算を目指す汎用型の量子ゲート方式においては、現在はNISQ(ノイズのある中規模量子計算)デバイスの50bitの量子コンピュータの実現が見えてきた。あるロードマップによると2025-2030年頃には100-200量子ビットまで到達し、量子化学シミュレーションが実用レベルになってくるとのこと。1

・ノイズ低減の為、サンプリング以降の計算ステップはこれまでの古典コンピュータに任せる量子古典ハイブリッド方式について研究が進んでいる。

・同時に、比較的簡単に問題を組めるミドルウェアの開発環境も整いつつある。

何が課題?

・ハード:量子アニーリング方式においては、量子ビットが全結合していないキメラグラフ問題。汎用的な問題への拡張。量子ゲート方式においては、ノイズとの戦い。計算ステップ数とビット数の増加に伴いノイズが増大、精度が出ない。

・ソフト:それぞれのハードに応じた(イジングモデルへの)問題の焼き直しが必要。グラフ変換がムズい。

課題を越えた先には何がある?

藤井先生曰く、量子コンピュータが得意な問題は二つに分類される:
1)そもそも量子と直結する問題(量子化学計算、創薬・材料開発等の物質系シミュレーションなど)
2)量子と関係ないけど、都合の良い構造がある問題(素因数分解、PCA(主成分分析)、SVM(サポートベクターマシン)、クラスタリング、レコメンドシステムなど)

課題を克服していければ、例えば、こんな問題が解けるようになるそうです
・階層的リスクパリティ(HRP)問題 銘柄を相関関係で2つに分類。分類を繰り返してツリー構造を作成、ツリー構造に合わせて投資割合を決定(リスク分散最適化)ポートフォリオのシャープレシオ最大化に寄与
・がん放射線治療における照射最適化 照射領域や照射量を変化させ腫瘍の形に適した照射を実施 がん部位には一定量以上、正常な部位には一定量以下の照射
・生産管理スケジューリング 仕事完了までの時間を最小化
・量子マネー
・強固なセキュリティー認証
・量子コンピュータで1024bitのRSA暗号を破ることはできるか? ゲート方式で1-10憶bitが必要と言われており、上記の課題を解決しながらの実現はかなり難しく実現の目途は経っていない1
*****

量子コンピュータが広く現実世界に影響を及ぼすようになるカギは、AIブームがそうであったように、影響力のあるプレイヤーによるインパクトあるパブリシティーにあります。実機商品化を受け、ITジャイアントであるGoogleによる1億倍速かったというその性能検証結果発表が今の第2次ブームの世界的うねりを作り出しました。アメリカ、カナダの北米が中心だった開発競争に、Alibabaといった中国のプレイヤーが参戦して状況は加速しつつあります。
四半世紀前にインターネットが登場し世界のコンピュータが繋がり、その後第3次AIブームと呼ばれる機械学習・ディープラーニングでコンピュータが自ら学ぶようになり、世の中は大きく変化しています。便利になると同時に、人間じゃかなわない(やっちゃいけない)コンピュータが圧勝する領域があるという事実を突き付けられました。
科学技術の進化は止まりません。課題を乗り越え、早かれ遅かれ量子コンピュータは、世の中を大きく変えるコア技術となるでしょう。これまで解けなかった問題を解くことができる機械の登場により、これまで以上に人間はコンピュータとの付き合い方を考えなくちゃいけなくなります。人は人らしく、コンピュータはコンピュータらしく、進化、共生を続ける未来にワクワクすると同時に、おいてかれちゃいけないなと思いました。


1. SCAT LINE104 2018 January, 量子アニーリングによる量子コンピュータの現状と将来 東京工業大学 西森 秀稔 教授

September 12, 2018

知能の限界の壁を量子がすり抜ける!(量子コンピュータが人工知能を加速する)

次世代計算機の最有力候補として今とってもアツい量子コンピュータ(Quantum computer)。私が初めてこの言葉と出会ったのは20年前、当時大学で共に物理を学んでいたクラスメイトからでした。
(こう言うと怒られますが)彼はあまり授業に来ずに、コンピュータ関係の仕事に没頭し、たいてい見かけるのは飲み会の席。忘れもしません、酔った席でいつも彼は言っていました。「量子コンピュータは計算機を根本から変える力がある」「その研究がしたいから西森研に入る」と。

知識も未来への洞察力も持ち合せていなかったその時の自分は、なんか凄そうだけど、その実現には100年かかるんじゃない?とか、
もしそんな超高速な計算機ができたとしても何をもたらしてくれるの?とか、雲を掴むような話としてしか記憶になく、「量子コンピュータ」という言葉と、可能性に対する彼の熱意だけが記憶に残りました。


それから約15年後、私だけでなく多くの研究者の予想を裏切って、2011年カナダのD-Waveという企業が量子コンピュータの製品化を実現しました。
当時、学界では、量子コンピュータはそんなにすぐに簡単に作れるはずがないと言われていて、D-Waveも得体の知れない怪しい物体として、研究者は近づいちゃいけない対象として疑いの目で見られていました。

潮目が変わってきたのは、2015年、D-Waveをお試し購入したGoogleとNASAがその性能評価を行い発表したのです。量子コンピュータのいち方式である量子アニーリング方式を採用したD-Waveマシンで、"ある特定の問題"を解いた場合、従来のコンピュータと比べて、D-Waveは1億倍高速だったと結論付けたのです!1
10倍でも100倍でもなく、1億倍速いという結果を受け入れるには、「得体の知れない怪しい物体は、本当に量子力学の原理に基づきそれを具現化した量子コンピュータである」と結論付けるしかありませんでした。
学生だった当時、自分が生きている間に実現するとは到底思えなかった世界が現実になったことに驚くとともに、人類の英知と科学技術の進化に本当にワクワクします。そして、その量子コンピュータのいち方式であり、現在唯一製品化を果たしている量子アニーリング方式を提唱したのは、他でもない彼がその理論の可能性に惚れ込んだ西森秀稔先生だったのです。

そんな感慨深い思い出から、西森先生の著書「量子コンピュータが人工知能を加速する」を手に取りました。
「式を使わずに量子コンピュータを語るのは両手両足を縛って徒競走に出るのに等しい」とあとがきに書かれている通り、数式を一切封じて、理論を説明するのは骨が折れる作業だったことと思います。それでも、一般読者にも分かるように目線を合わせ、丁寧に量子力学の基礎から解説してくれた本書を読んで、夢が現実になった量子コンピュータに更に期待を膨らませることができました。

量子コンピュータとは、情報科学の深化に伴い人類に立ちはだかる問題「計算能力の限界」に対する、ポストムーア2の方向性を指し示す一つの道筋であり、計算機科学における真のイノベーションとなる可能性を大いに秘めています。

「5年後には北米で一大産業が立ち上がる可能性もある」

コンピュータがこの世に登場してから70年。これまでの計算機とは全く異なる原理の新たな計算機が生まれようとしている瞬間に立ち会える喜びと、それが私達の暮らしにもたらす可能性を考えるだけで心が踊ります。

量子コンピュータとは?っていう原理や性能、課題については、本書やインターネットの解説に譲るとして、量子コンピュータの扉を開いた、革新的理論の発案者である西森先生の物理学者としての視点と考察が、本書の至る所にゆらいでいました。特に興味をもった点について触れたいと思います。

①理論と応用がほとんど背中合わせの研究分野
理系の世界は、理論と応用が良くも悪くもしっかりと分かれています。日本の大学において象徴的で分かりやすいのが、「理学」と「工学」が学部という組織で分け隔てられている点です。
「サイエンスとエンジニアリングは別物で、基礎的な科学を研究するところと、実社会への応用を研究するところがはっきりと線引きされている」と、言います。もちろん、区別されている事には一長一短あるのですが、量子コンピュータの世界は、理論と応用の距離が近い領域で、境界のあいまいさが特徴です。
西森先生は、物理の世界で言う「理論屋さん」です。彼の武器は、紙とエンピツ。巨大な実験設備とかは「実験屋さん」の職域です。そんな西森先生が、頭だけで机上で、発案した理論が、たった15年も経たない内に、現実モノとなり世の中に登場することができたのは量子の性質(=自然現象)を上手く、計算に利用したからです。
最近は生物や化学の分野で、大学発の起業家など新興ベンチャーが立ち上がる例は多くみられますが、机上色がより強い物理や数学の学問領域から、直接的に世界を変えるような新技術が登場するようになってきたことは、大きな変化です。社会や世の中がモノなど有形よりも情報やデータなど無形に重きが移ってきている一つの表われなのかもしれません。

②狙ってできることではない。純粋な学問的な興味が革新的イノベーションにつながる
世界中のIT企業がこぞって先行開発を競う量子コンピュータ。
「量子アニーリングはもともと社会の役に立つかどうかは意識しない、純粋に学問的な興味から生まれた」と、先生は言います。
「本当に世の中が変わるブレイクスルーは、損得勘定や打算的な計画などからは決して生まれません。そんなことは一切気にせず、好奇心の赴くまま我を忘れて没頭する集中力の中から生まれてくる」と言います。
別の例ですが、「ニュートリノの観測」でノーベル賞を受賞した小柴教授は、ノーベル賞受賞インタビューにおいて、「その研究は何の役に立ちますか?」というメディアからの陳腐な質問に対して、快活に「全く役に立ちません」と断言したそうです。
損得勘定を前提していると、その結果出てくるものは想定の範疇を大きく超えることはありません。その意味においても、無邪気な基礎研究の大切さが、この量子コンピュータの世界でも実証されました。研究機関における成果に対する考え方だけでなく、西森先生はこう言います。「1年や2年の短期的なリターンを追求するのではなく、中長期に渡る大胆な投資をするダイナミズムを、かつてのように日本企業に取り戻してほしいと願っている。」と。

③日本の強みと更なる飛躍への処方箋
日本の研究者にとって、精緻さ、厳格性は強み。これまでも緻密さを活かして新しい理論や発見を打ち立ててきました。ただ、緻密さにこだわりすぎると社会への好影響の機会とその循環による研究環境の進歩のチャンスが失われる、と本書は指摘します。
また、日本は(最近はその衰えを危惧する声もありますが、)基礎研究力はまだまだあるものの、その製品化力が不足しているそうです。その理由の一つは、世界と比べて、起業家精神の厚みの違いと、破天荒なベンチャーを支える太っ腹な投資家の不在、だそうです。D-Waveについては、そんな条件が揃っていたからこそ、100年かかるといわれていた夢の物体がわずかの時間で現実のモノとなったのです。
量子コンピュータの分野に限らず、将来日本がキーとなる新技術のムーブメントの中心であり続ける為には、大学や研究機関からビジネスが産まれる素地が不可欠だと思います。
例えば、理系の修士カリキュラムでMBAにあるような「ベンチャー企業と起業家精神」といった科目を必修授業とするとか、大学職員に対しても柔軟な勤務条件など自らがビジネスを立ち上げられる事業化支援策が必要だと思います。サイエンスとビジネスの融合なくしては夢はカタチになることなく夢のまま終わってしまうのです。

突如現れた、人類の知能の地平線を押し広げる可能性がある量子コンピュータ。その原理の発案者であり、今持って最前線で研究を続ける西森先生は言います。

「D-Waveが、量子コンピュータ開発の新たな方向性を示して大きな流れを生み出したことは間違いない。だが、ゴールはまだ遠い。新たな試合のルールが分かってきたところであって、本番はこれからだ。」

興奮冷めやらぬまま、今週土曜日その最前線に触れる為に、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)主催の「次世代計算機講座」に参加します。次回は最前線について書きたいと思います。

続く...


1. D-Waveの量子コンピュータは「1億倍高速」、NASAやGoogleが会見
2. インテル創業者の一人であるゴードン・ムーアが提唱した「半導体の集積率は1年半毎に倍になる」という予測。その「ムーアの法則」の限界説が議論されている


量子コンピュータが人工知能を加速する
西森秀稔・大関真之

August 27, 2018

Queensland: Glorious days with lovely friends in Sunshine State

Brisbane & Sunshine Coast (Day 9 to 17)

飛行機で東に飛ぶこと4時間。大陸を横断し、クイーンズランド州ブリスベンにやって来ました。
西オーストラリアは冬らしくとても寒かったですが、クイーンズランド州はさすが「サンシャイン・ステート」と言われるだけあって、滞在期間中ほとんど快晴、気温も季節を疑うほど日中は暖かかったです。
Brisbane riverside
Brisbane city
ブリスベンの街自体は海岸に面している訳ではなく、休日ビーチを訪れるならば、北にはサンシャイン・コースト、南にはゴールド・コーストという2大リゾート地を抱える、オーストラリア第3の規模の都市です。
早速、今回の旅行の目的の一つ、ブリスベンから車で約1時間半北上し、幼馴染が在住するサンシャイン・コーストを目指します。

初日は、長年この地に住む友人も、初めてと言うことで、有名な故「クロコダイルハンター」が設立したオーストラリア動物園に行きました。
Crocodile show
Laid-back kangaroo
さすがオーストラリアだけあって、日本の動物園よりもはるかに広大な敷地に生き生きと暮らす動物達を間近に見て触れあうことができました。街中から離れた森以外何もない場所にある動物園は年々施設が拡張されているらしく、月曜日にもかかわらず多くの来園者で賑わっていました。

サンシャイン・コーストで2泊の後、また別の友人との再会の為、再びブリスベンに戻って来ました。オーストラリア人と結婚して、ここブリスベンで暮らす日本人の友人にお誘い頂き、おうちにお邪魔しました。公園に面した素敵なバルコニーのあるその家は、リフォームしたてで白く眩しく輝いていました。キッチンが二つあったり、日本の普通の家のサイズよりもはるかに大きく、とても広々。こういう環境なら騒音とか心配せずに子供も思いっきり遊べるんだろうなぁ。ゆとりあるオーストラリアの暮らしの一面を見させてもらうことができました。
New Farm Park
写真は、友人家族に連れて行ってもらったブリスベン中心部にある公園。子供達のドックランさながら、みんな自由に放し飼いです。


今回の旅行2か所目のホームステイということで、オーストラリア人の友人宅にお世話になりました。レンタカーでその家に到着すると、奥さんがちょうど家の外にいました。挨拶の余韻に浸る間もなく、彼女は興奮気味に、「はやくはやく。家に上がって!」と勧めてくれました。
ドアを開けて、びっくり!なんと、家の中に我が家の人数分のテントが並んでいて、その壁には"Ryokan"と書かれたサインが貼ってあるじゃありませんか!!キャンプをテーマに、家をまるごと装飾して歓迎してくれたのです。「ようこそ、ブリスベンの旅館へ!キャンプというよりは、グランピング気分で寛いでね!」と、私達を温かく迎えてくれました。


"Glamping" at Brisbane
Camping treats welcomed our family
リビングに上がると、そこには、グリム童話に出てきそうなお菓子がたくさん飾り付けられたテーブルが用意されていました。壁にもウェルカムの大きな文字!ユーモアがあって気の利いた、心温まるサプライズの演出にびっくり、大興奮のチェックインでした。


翌日は祝日ということもあり、家族と皆でブリスベン市内をブラ散歩。市の中心部にある美術館「Gallery of Modern Art(GOMA)」を訪れました。館内は広々と天井も高く、頭上から差し込む光が館内を明るく包む、とても心地よい空間でした。
GOMA
The Library Cafe
Morning tea with Lamington
美術館隣にある図書館併設のカフェにてティータイム。紅茶を頼むと黒い四角状のケーキにココナッツをまぶした、クイーンズランド州発祥のケーキ「ラミントン」が添えられていました。甘いものがそれほど得意じゃないけど、そのチョコレートでコーティングされたケーキは控え目な甘さで、紅茶にピッタリ。とっても美味しかったです。


Ekka: Royal Queensland Show
Rides and Hot-dogs
今回ちょうどタイミングがあったこともあり、友人案内の元、毎年8月に州都ブリスベンで行われる年に一度のお祭り「エッカ(Ekka)」に行くことができました。エッカはクイーンズランド州最大のお祭りで10日間、ブリスベンだけでなく全国から沢山の来場者が訪れる一大イベントです。事前にインターネットで入場券を購入してもらい、いざ突入です。日本のお祭りさながら路面にはたくさん、食べ物やおもちゃ、クラフト品などのお店が並んでカラフルに会場を彩ります。


Colorfully decorated stalls
昔から続く歴史あるお祭りで、元々は農業や酪農などの収穫を祝う感謝祭だったとのことで、会場には、馬や子豚、羊やひよこ等子供たちも触れ合える動物コーナーも充実していました。来場者の交通の便を考慮して線路沿いにお祭りのエリアが設けられているのですが、とっても広い!駅二つをまたぐ程の広さに、数多くの展示会場や移動遊園地など沢山の催し物、来場客で賑わっていました。

Cool looking hotfood stall
Laughing clowns game
Wood chop competition
会場のテントでは「薪割り競争」の真っ最中で、思わず足を止めてしまいました。オーストラリア本土だけでなく、タスマニアやニュージーランドなど各地から巨漢の選手が集って薪を割る速さを競います。皆揃って全身白いノースリーブ姿。スタートの合図で、斧の音が会場に響き渡り、ものすごい速さで大きな丸太を真っ二つにする様子は迫力満点でした。

友人も「エッカに来るのは30年ぶりくらい」と言っていました。地元の大人達にとっては、子供の頃に友達と一緒に見て回った、子供の頃の思い出のようなお祭りなのでしょう。


Kids opening Showbags
会場の奥には、大きなトタン屋根の棟があり、子供達のお目当ての品がずらりと並んでいました。そこでは「ショーバック」という福袋のようなお菓子の詰め合わせバックを売るお店が軒を連ねます。たくさんの子供達がその場で袋を開けて、楽しそうに笑い合っている姿が印象的でした。


夜は、キャンプがテーマということで、近所の友人にも声をかけてくれて皆でBBQ。お腹いっぱいオージービーフを食べた後、焚火を囲んでマシュマロ・トースト。街中にもかかわらず、空を見上げるとたくさんの星が大きく綺麗に輝いていました。


Marshmallow toast

今回ホームステイさせて頂いたお家の旦那さんは、ステンドグラス作家です。自宅のすぐ隣にアートスタジオを構えています。
Glass work studio
Beautifully crafted leadlight glass
「レッドライト(Leadlight)」と呼ばれる、色とりどりのガラスのピースを鉛の縁でつなぎ合わせて模様を作り出すステンドグラスを制作する工房です。スタジオには明るい光が差し込み、部屋のあちこちに散らばる波打つ手作りガラスに光が散乱する、いかにも創作意欲が湧いてきそうな素敵な空間でした。
Decorative entrance door
Beautifully sectioned glass in lead cames
自宅の玄関の真っ白な扉にも、深い色の素敵なレッドライトがはめ込まれ、そのコントラストがとても美しかったです。建築の装飾窓としてのステンドグラスだけでなく、教会の修繕なども行う彼の作品はこちらの公式サイト「The Glass Mandala」からご覧頂けます。



Morning coffee 
Flat white
翌朝、コーヒー中毒を自称する主人が行きつけのコーヒーショップに連れて行ってくれました。韓国人のオーナーが丁寧に入れてくれる美味しいラテを味わいながら、産まれ故郷の話や子供の話、日本に住んでみるのも悪くない等といった他愛もない話に花が咲きました。


週末に合わせて、再びサンシャインコーストに移動し、ブリスベンに住む友達とホテルで落ち合いました。
View of Sunshine coast
Mooloolaba beach
泊まったホテルはサンシャインコーストのビーチに面したホテルで、窓から見渡す限り広がる海と空の青い景色を眺める、それだけで癒される素敵なホテルでした。


夜は「Surf Club」という会員制のビーチ沿いのレストラン&バーに連れて行ってもらいました。
Mooloolaba Surf Club
Love the taps of craft beers
「Surf Club」とは、オーストラリアでは一目置かれる存在の海のライフセーバーの人達に敬意を表して作られた社交場のような場所で、食事もできるし、もちろんお酒も用意され、場内の大きなスクリーンではスポーツ観戦もできたり、小さなカジノもあったりします。いい感じにできあがった年配のオージー達が楽しそうに飲んでいる傍ら、子連れの家族もいたりと、まさに老若男女様々な人で賑わっていました。

サンシャインコーストはリゾート地なので、あまり観光のプランも立てず予定も詰込まずゆったりと過ごしました。
Park lookout at Buddina
Mooloolaba
Harbor-side picnic
Sunset at Noosa River
友人に案内してもらい、海沿いの町をぶらぶらと散歩したり、ビーチで焼き鳥を焼いて食べたり、リゾート地ならではの、のんびりとした豊かな時間を過ごすことができました。


Night view
ホテルに戻ったその晩、友達みんな一つの部屋に集って、修学旅行さながらワイワイと夜通し語り飲みをしました。久しぶりに再開できた友達と、ビール&ワインを飲みながら過ごしたひとときは何物にもかえがたい思い出深い夜でした。

***
今回、久しぶりに3週間もの間日本を離れ、普段の生活から距離を置くことができました。日本暮らしの良い所、オーストラリアから学ぶべきことなどなど、色々と考えさせられ、とても刺激になりました。

オーストラリアは、良くも悪くも大ざっぱ、とっても寛大です。みな口を揃えて”No, worries!”と言います。訳こそ「心配無いよ」ですが、Thank youと言った後の「どういたしまして」みたいな場面でも、皆いつでも"No, worries!"です。懐の広さが言葉となり、挨拶となっています。
人間関係にしてもギスギスした感じが無く、国土の広さ故なのか、いろんな場面で余裕を感じました。経済・財政的な面だけでなく、家の広さとか、就労時間の感覚とか、教育の柔軟性とか生活の到る所で"ゆとり"が感じられました。
逆に、人にしても物事にしても、ある特定の事に突出した、尖った何かを見つけることはそんなには無く(滞在が短かったから!?)、身を削るくらい一所懸命に、一つのことを極限まで突き詰める事などはたぶんオーストラリア人の気性ではなく、より日本人的なんだなとも思いました。


オーストラリアでこれまでお世話になった友達と会うことができ、僅かながらも現地で生活することで、自分そして家族の今とこれからについて色々と思いを巡らせることができました。そんな機会が持てたのもオーストラリアで暮らす友人達のお陰です。お世話になった皆さん本当にありがとうございました!