(こう言うと怒られますが)彼はあまり授業に来ずに、コンピュータ関係の仕事に没頭し、たいてい見かけるのは飲み会の席。忘れもしません、酔った席でいつも彼は言っていました。「量子コンピュータは計算機を根本から変える力がある」「その研究がしたいから西森研に入る」と。
知識も未来への洞察力も持ち合せていなかったその時の自分は、なんか凄そうだけど、その実現には100年かかるんじゃない?とか、
もしそんな超高速な計算機ができたとしても何をもたらしてくれるの?とか、雲を掴むような話としてしか記憶になく、「量子コンピュータ」という言葉と、可能性に対する彼の熱意だけが記憶に残りました。
それから約15年後、私だけでなく多くの研究者の予想を裏切って、2011年カナダのD-Waveという企業が量子コンピュータの製品化を実現しました。
当時、学界では、量子コンピュータはそんなにすぐに簡単に作れるはずがないと言われていて、D-Waveも得体の知れない怪しい物体として、研究者は近づいちゃいけない対象として疑いの目で見られていました。
潮目が変わってきたのは、2015年、D-Waveをお試し購入したGoogleとNASAがその性能評価を行い発表したのです。量子コンピュータのいち方式である量子アニーリング方式を採用したD-Waveマシンで、"ある特定の問題"を解いた場合、従来のコンピュータと比べて、D-Waveは1億倍高速だったと結論付けたのです!1
10倍でも100倍でもなく、1億倍速いという結果を受け入れるには、「得体の知れない怪しい物体は、本当に量子力学の原理に基づきそれを具現化した量子コンピュータである」と結論付けるしかありませんでした。
学生だった当時、自分が生きている間に実現するとは到底思えなかった世界が現実になったことに驚くとともに、人類の英知と科学技術の進化に本当にワクワクします。そして、その量子コンピュータのいち方式であり、現在唯一製品化を果たしている量子アニーリング方式を提唱したのは、他でもない彼がその理論の可能性に惚れ込んだ西森秀稔先生だったのです。
そんな感慨深い思い出から、西森先生の著書「量子コンピュータが人工知能を加速する」を手に取りました。
「式を使わずに量子コンピュータを語るのは両手両足を縛って徒競走に出るのに等しい」とあとがきに書かれている通り、数式を一切封じて、理論を説明するのは骨が折れる作業だったことと思います。それでも、一般読者にも分かるように目線を合わせ、丁寧に量子力学の基礎から解説してくれた本書を読んで、夢が現実になった量子コンピュータに更に期待を膨らませることができました。
量子コンピュータとは、情報科学の深化に伴い人類に立ちはだかる問題「計算能力の限界」に対する、ポストムーア2の方向性を指し示す一つの道筋であり、計算機科学における真のイノベーションとなる可能性を大いに秘めています。
「5年後には北米で一大産業が立ち上がる可能性もある」
コンピュータがこの世に登場してから70年。これまでの計算機とは全く異なる原理の新たな計算機が生まれようとしている瞬間に立ち会える喜びと、それが私達の暮らしにもたらす可能性を考えるだけで心が踊ります。
量子コンピュータとは?っていう原理や性能、課題については、本書やインターネットの解説に譲るとして、量子コンピュータの扉を開いた、革新的理論の発案者である西森先生の物理学者としての視点と考察が、本書の至る所にゆらいでいました。特に興味をもった点について触れたいと思います。
①理論と応用がほとんど背中合わせの研究分野
理系の世界は、理論と応用が良くも悪くもしっかりと分かれています。日本の大学において象徴的で分かりやすいのが、「理学」と「工学」が学部という組織で分け隔てられている点です。
「サイエンスとエンジニアリングは別物で、基礎的な科学を研究するところと、実社会への応用を研究するところがはっきりと線引きされている」と、言います。もちろん、区別されている事には一長一短あるのですが、量子コンピュータの世界は、理論と応用の距離が近い領域で、境界のあいまいさが特徴です。
西森先生は、物理の世界で言う「理論屋さん」です。彼の武器は、紙とエンピツ。巨大な実験設備とかは「実験屋さん」の職域です。そんな西森先生が、頭だけで机上で、発案した理論が、たった15年も経たない内に、現実モノとなり世の中に登場することができたのは量子の性質(=自然現象)を上手く、計算に利用したからです。
最近は生物や化学の分野で、大学発の起業家など新興ベンチャーが立ち上がる例は多くみられますが、机上色がより強い物理や数学の学問領域から、直接的に世界を変えるような新技術が登場するようになってきたことは、大きな変化です。社会や世の中がモノなど有形よりも情報やデータなど無形に重きが移ってきている一つの表われなのかもしれません。
②狙ってできることではない。純粋な学問的な興味が革新的イノベーションにつながる
世界中のIT企業がこぞって先行開発を競う量子コンピュータ。
「量子アニーリングはもともと社会の役に立つかどうかは意識しない、純粋に学問的な興味から生まれた」と、先生は言います。
「本当に世の中が変わるブレイクスルーは、損得勘定や打算的な計画などからは決して生まれません。そんなことは一切気にせず、好奇心の赴くまま我を忘れて没頭する集中力の中から生まれてくる」と言います。
別の例ですが、「ニュートリノの観測」でノーベル賞を受賞した小柴教授は、ノーベル賞受賞インタビューにおいて、「その研究は何の役に立ちますか?」というメディアからの陳腐な質問に対して、快活に「全く役に立ちません」と断言したそうです。
損得勘定を前提していると、その結果出てくるものは想定の範疇を大きく超えることはありません。その意味においても、無邪気な基礎研究の大切さが、この量子コンピュータの世界でも実証されました。研究機関における成果に対する考え方だけでなく、西森先生はこう言います。「1年や2年の短期的なリターンを追求するのではなく、中長期に渡る大胆な投資をするダイナミズムを、かつてのように日本企業に取り戻してほしいと願っている。」と。
③日本の強みと更なる飛躍への処方箋
日本の研究者にとって、精緻さ、厳格性は強み。これまでも緻密さを活かして新しい理論や発見を打ち立ててきました。ただ、緻密さにこだわりすぎると社会への好影響の機会とその循環による研究環境の進歩のチャンスが失われる、と本書は指摘します。
また、日本は(最近はその衰えを危惧する声もありますが、)基礎研究力はまだまだあるものの、その製品化力が不足しているそうです。その理由の一つは、世界と比べて、起業家精神の厚みの違いと、破天荒なベンチャーを支える太っ腹な投資家の不在、だそうです。D-Waveについては、そんな条件が揃っていたからこそ、100年かかるといわれていた夢の物体がわずかの時間で現実のモノとなったのです。
量子コンピュータの分野に限らず、将来日本がキーとなる新技術のムーブメントの中心であり続ける為には、大学や研究機関からビジネスが産まれる素地が不可欠だと思います。
例えば、理系の修士カリキュラムでMBAにあるような「ベンチャー企業と起業家精神」といった科目を必修授業とするとか、大学職員に対しても柔軟な勤務条件など自らがビジネスを立ち上げられる事業化支援策が必要だと思います。サイエンスとビジネスの融合なくしては夢はカタチになることなく夢のまま終わってしまうのです。
突如現れた、人類の知能の地平線を押し広げる可能性がある量子コンピュータ。その原理の発案者であり、今持って最前線で研究を続ける西森先生は言います。
「D-Waveが、量子コンピュータ開発の新たな方向性を示して大きな流れを生み出したことは間違いない。だが、ゴールはまだ遠い。新たな試合のルールが分かってきたところであって、本番はこれからだ。」
興奮冷めやらぬまま、今週土曜日その最前線に触れる為に、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)主催の「次世代計算機講座」に参加します。次回は最前線について書きたいと思います。
続く...
1. D-Waveの量子コンピュータは「1億倍高速」、NASAやGoogleが会見
2. インテル創業者の一人であるゴードン・ムーアが提唱した「半導体の集積率は1年半毎に倍になる」という予測。その「ムーアの法則」の限界説が議論されている
量子コンピュータが人工知能を加速する
西森秀稔・大関真之
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