December 29, 2023

ここがヘンだよ中学受験 [前編:中受過熱の背景]

なんだかんだ、一年でまとまった時間を取れるのがこのタイミングだけで、3年連続で年末専門ブロガーとなってしまいました。。
今年最も身を捧げた「中学受験」について、初めての経験でとっても面白かったので、好き勝手、2回に渡り書き記しておきたいと思います。(まだ終わってないけどw)

***

今、中学受験がかつてないほど過熱しています。

我が子にはそんなレールを敷くのはやだなー、と思っていながら、まんまと我が家もその大きな渦に飲み込まれること、この2年半。
私立中高一貫校への通行手形をゲットするために、家族総出でほんとうに多くの時間と労力を費やしてきました。

その集大成である最終学年の6年生。
合格を目指すという一点を除いて、ほとんど全ての欲を封じた一年でした。
互いの実家への帰省はいっさい無し、家族旅行も夏休みに近場の1泊2日のみ、もちろんクリスマスも無ければお正月もありません。
一度レールに乗っかったが最後、途中下車という選択肢は無く突き進むしかありません。
心を無にして、まさに家族一丸、盲目的に突き進んできました。(まもなく迫るゴールに向けて今も現在進行形ですが。。)

人生100年時代、生まれてまだ12年しか経っていないひよっこの子どもが疑うことなく、週7日間、通塾や家庭教師など、朝から晩まで、受験勉強漬けの毎日を送ってます。

朝6時半に起きるやいなやZoomで朝授業。学校から帰宅後、個別指導塾に行き過去問解いてその解説を受ける。そこから別の集団塾に通い補習も含め21時過ぎまで授業。家に帰って速飯。シャワー&就寝。
概ねそんなスケジュールを夏休みから、ほぼ毎日繰り返しています。

昭和生まれで、田舎育ちの自分にとっては想像もできなかった、父として迎えた、中学受験という名の監獄生活の一年でした。

今日は、なんでこんなにも人生で一番遊ぶべき小学生時代に受験に必死にならなきゃいけないのか?という中受過熱の背景について書きたいと思います。(自ら体感した中受の功罪については、次回

【中学受験どーしてこんなになっちゃってるの?】 

バブルさながら加熱する中学受験

首都圏模試センター発表の統計によると、首都圏の中学受験者数は2014年を境に上昇し、2015年から2023年にかけて増加の一途で、過去最多を絶賛更新中です。
(今年の大手塾の模試状況から察するに、今年はもしかしたら一服するかもしれませんが。だいたい、マンガになってドラマにまでなると、流行はピークアウトするってのもまた真ですがw)

(特に首都圏において)中学受験が過熱してきた背景として良く上げられる理由が、

1.大学入試改革・大学入試定員厳格化
2.中学受験熱の高い都心部の児童数の増加
3.コロナ禍→オンライン対応の公私格差
4.中学受験に親近感を抱く保護者の増加

だったりします。

出展:YouTube PIVOT公式チャンネル

とはいっても、どの理由も中学受験の長期的増加を説明するには不十分な気がします。
もっと大きな時間軸の、何か別の社会的変化が背景にある気がします。
女性の社会進出、少子化、核家族化などの社会や家族の構造変化がその大きなトレンドの遠因ではないのかと。平成の時代になり、以前より家を出る女性が増え、その社会進出と共に、子育てスタイルも昔の”母ちゃんワンオペ”から、”夫婦ともに育て、共に働く”時代に大きくシフトしてきました。

また、自分の小学生時代は放課後の遊びといったら、学校で友達と口約束をし、家にランドセルを置いて、皆で公園に集合して草野球をやったり、友達と裏山でターザンごっこをやったり、ファミコンが誕生した時代だったので、天気が悪いと友達の家に行って、同じ空間で一緒にテレビゲームをやる、みたいな「リアルな友達と物理的空間を共有する遊び」をしていました。

でも今は、その当時とは全く異なる放課後時間・空間が広がります。

子どもは学校から帰り、家のテレビをつけるやいなや、好きなユーチューバーの配信動画を釘居るように見続ける。また、家のソファーで任天堂スイッチを片手にヘッドフォンに包まれ、オンラインゲーム上で、独り言のようにブツブツ喋りながら見ず知らずの人とチーム編成をして、闘いを繰り広げています。

日中家に親はいず、友達と、外で顔を合わせて遊ぶこともほとんどありません。バーチャル世界で友達ができて、そこで遊んでいる子がいたりします。

毎日学校で顔を合わせる友達たちは、小学校3年生の2月を境に、次第に塾に通うようになり、学年が進むごとに、一緒の遊び相手も減っていきます。周りのみんなが塾に通い始めて、自分の居場所がなくなったと感じて、止む無く塾に通う子もとても多いです。

かつてのお母ちゃんが、OLになり、キャリアウーマンに変遷していったのと同時に、母や父の家族としての顔が、仕事領域に食い込んでいくようになりました。親が「社会(働き)に出る」ことは「家(子と過ごす時間・空間)を出る」という側面もあります。また、そんな社会と家との境界は、時代と共に曖昧になり、融合してきています。
そんな、大きな社会変化が起こったのが、この40~50年でした。(現在進行形です)

その大きなうねりに飲み込まれ、子どもも幼少期の遊びの期間・空間・同士を徐々に失い、まだ未成熟で多感な時期に、子供を将来養成塾に送り込む。貴重な幼少期を将来のための武装訓練に費やすという、田舎の昭和人間である私にはにわかに信じがたいことが起こっています。(それはまるで戦時中、お国のためにと、国民学校で軍事訓練を強いられていた子どものように)

こんな家族形態、働き方の変化はもはや誰も止めることは出来ず、それが続く限り、人生の若い段階での矯正訓練のトレンドを止めることはできないのでしょう。

しかたない。
我が子はそんな世の中に生を受けてしまったのだから。

小学4年生の春。子どもが大好きだった英語の塾を辞めるべきかどうか、本当に悩みました。
でも、しかたない。

その波からは逃れることはできないので、大いに家族で乗っかり、体験しようと、家族みんなで腹をくくりました。後ろ髪惹かれる中、我が子は英語塾を辞め、中学受験専門塾に通う決断をしました。

その決断が正しかったのか間違っていたのかは、分かりません。

でもここまでの体験から、明らかに分かったことがひとつあります。それは合否が出るまでもなく言い切ることができます。

中学受験を通じて何を得て、何を失ったのか。

(多くは親の経験不足と至らなさで、反省ばっかなのですが。。)

次回は、これから同じような決断を迫られるご家族に少しは役に立ててもらえればとの思いで、我が家の恥ずかしい体験談も含め、中学受験の功罪について書きます。

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